木村土佐守 逸話



駿河との合戦の折にございます。
昌幸公の御家来である矢野半左衛門が戦場にて7歳の童子を生け捕りになされました。
童子は木村と名乗りました。
「今日の合戦で私の父も討たれたのでしょう。最後にせめて父の姿を一目見たいと思い戦場までやってきたのです。」

それを聞いた矢野半左衛門は童子を肩車して一緒に父親の死体を探してあげたのでした。

その後、昌幸公は木村をお小姓として召抱えました。
木村は14歳の時に「御刀持」の役目をおおせつかりました。

ある時昌幸公は便所に篭り、そこから侍2人に「とある家来を討つように」と下知を下されました。

それをこっそり聞いた木村は先回りして問題の家臣を討ち取ってしまいました。
木村の働きを知った昌幸公は、木村を100日間「押し込め」の刑にしたのでした。

しかし、木村はこのように勇猛な性格であったためその後どんどん出世して「土佐守」の名前を頂いたのでした。
~~~~~~~~~~~~~吾妻記より訳~~~~~~~~


第一次上田合戦でのお話です。
徳川家は大軍を率いて上田まで攻めてきました。

昌幸は計略通りに上田城の大手門を開け、信幸に200騎程あずけて徳川軍を攻めさせました。
信幸はわざと弱弱しく逃げ帰りましたので、徳川軍は大手門まで押し込んできました。

昌幸は少しも動ぜずに
「敵が来たら切れ切れ。」
と言いながら祢津長右衛門と囲碁に興じていました。

それを見ていた木村土佐守は
「頃合は良し」
と碁を突き崩しました。

昌幸は大笑いをして、城内の兵を指揮し始めたのでした。

~~~~~~~~真田家御事跡  神川合戦『古今沼田記』より意訳~~~~~~~~~~


 

 

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