真田 昌親 逸話



関ヶ原の合戦直前の話です。

石田三成からの書状を読んだ真田昌幸・信繁親子は長男信幸と三男昌親へ置手紙をして、こっそり陣屋を引き払い沼田へと向かいました。

置手紙を読んだ信幸はすぐに家康の所へと赴き父と弟の裏切りを知らせたため、家康にたいそう感謝されました。

昌親も置手紙を読みました。
「なんてまあ困った事が起きたものだ。昌幸父上は気が狂ったに違いない。きっと信幸兄上の所にも同じように置手紙をしているだろう。」

昌親は手紙を握り締めて信幸兄上の陣へと向かいましたが、信幸兄上はすでに家康の元へ行って留守でした。

「ならば自分達も家康殿の所へ行こう。」
昌親は大急ぎで家康の本陣へと向かいました。

そのころ、昌親の陣へ家康からの使者が来ました。
「真田信幸殿から事の次第を聞いたのでお尋ねに参りました。先ほど真田昌幸・信繁殿の陣へ使いをやったが二人ともいつの間にか陣を引き払い出て行ってしまっている。昌親殿はどうなさるおつもりか?」

使者がいくら待っても昌親は現れません。使者は家康の本陣へ戻り
「真田昌親もいなくなったようです。」
と報告しました(ので昌親も裏切ったと皆は思いました)。

それから少しして、昌親が家康の本陣に現れました。

(今更ノコノコ現れてこいつ、いったいどういうつもりだ)と皆は昌親を怪しみましたが、昌親が信幸と同じように父と信繁の出奔を知らせたため特に罰は与えず、その身柄を真田信幸に預けました。

昌親殿はそのまま信幸の下で一生を無下に送ったという話です。

~~~~~~~~~真田家御事蹟より意訳~~~~~~~~~~~~~~~~


 

 

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