昌幸公の逸話



真田昌幸がまだ武藤喜平と名乗っていた頃のお話にございます。
夜が更けると甲府の御館(躑躅ヶ崎館か?)に化け物が現れて館内の人々を驚かすようになりました。

ある雨の夜のことでした。喜兵衛が歩いていると噂の化け物とばったり行き会いました。
喜兵衛はすかさず走りかかり、取っ組み合いの末に化け物を取り押さえました。化け物の顔から鬼の面をはずしてみるとその正体は茶坊主でありました。

茶坊主は館の侍達がどれほど肝が太いのか試そうと、鬼の面を付けて化け物になりすまして館をうろついていたのです。

これを聞いた喜兵衛は怒り、
「お前こそが曲者だ! 今回は命を助けるぞ。今後はこのようなことをするでないぞ。」
と茶坊主を逃がしてしまいました。

~~~~~~~~~~~~ 沼田記より意訳~~~~~~~~~~~


九度山には真田屋敷がありました。屋敷の西には昌幸公の廟所がありました。
昌幸公の廟所には高さ三尺(約90cm)の碑が高さ二尺(約60cm)の石垣の上に乗っており、さらに七尺(約210cm)の玉垣(神聖な場所の周囲にめぐらした垣)に囲まれておりました。

廟所の後ろには、昌幸公が自ら植えられたと伝わる松の大木がありました。

大阪の陣が終結した後に、真田屋敷と庵室は火事で悉く失われてしまいました。しばらくして真田屋敷の跡地は角兵衛という者の持ち物となりました。

角兵衛は所々に畑を切り開いた後に、自分の家もここに移そうと計画をたてました。すると、突然胸が痛み出し倒れてしまいました。

すると角兵衛の夢の中に昔の姿をした昌幸公が現れました。
馬上に凛として現れた昌幸公は甲冑を身に着け弓矢を湧きに挟み、はたと冷淡な目つきでにらみました。

夢でありながら、角兵衛は恐れわななき平伏して昌幸公に申し上げました。
「拙者の住居をお屋敷へ移そうとした事をお怒りの事と思われます。このような事は絶対に致しません。その上で貴方様をこの土地の地主権現として崇め奉りましょう。」


こうして夢から覚めた角兵衛は昌幸公を大いに恐れ早速御殿を建てて地主権現として奉りました。

~~~~~~~~~~~~信濃史料叢書第15巻 徳化太平記より訳~~~~~~~~~~~~


関ヶ原の少し前。上田城の開城を待っていた徳川秀忠公は、真田昌幸にだまされた!と上田城を攻めることに決めました

昌幸は信繁を伴い北の門から物見に出かけました。
この時、上田城大手門を攻めていた牧野右馬介の軍兵が
「あれは真田昌幸親子だ!」
と気付き、二人に向かって駆けだしました。
昌幸は
「信繁、お前が先に城へと入りなさい。」
と言い、信繁は
「父上から先にお入りください。」
と言い、そのまま譲り合いの押し問答を始めてしまいました。
大手門を守備していた池田長門守は敵勢が真田親子の間近に迫るのを見て、二人の前へ進み出ました。
「どうでもいい父子の言い合いで時間を無駄にするのはどうかと思いますよ。お入りください。」
と、昌幸の馬の口を取り城の中へと引き込みました。
これを見て、ようやく信繁も城の中へと入りました。

その後、大手門には敵が大勢攻め寄せましたが池田長門の活躍により敵を突き返したのでありました。

~~~~~~~~~~~~~~長国寺御事蹟巻之10 翁物語より訳~~~~~~~~~~~~~


上田城攻めにて、徳川勢が優勢に攻めていましたが真田勢が城へと戻ったので徳川勢も一旦引くことになりました。

すると真田左衛門佐と真田安房守が80人余りを引き連れて徳川勢を誘い出しにきたので牧野右馬介(徳川軍)は自軍へ戻るのを辞めて真田勢を追いかけ始めました。
真田勢の殿を務めていた池田市左衛門はこれに気付いて牧野の兵隊達を霍乱しました。

真田勢と牧野の兵との距離がちょうど2丁ほどになった時に、左衛門佐・安房守親子は80人の兵全員で手鼓みを打ち高砂を謡いました。

それを見た徳川勢は怒りのあまり冷静さを失い上田城へと押し寄せたのでした。


~~~~~~~~~長国寺御事蹟巻之10より~~~~~~~~~~~~~~~



 

 

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