逸話 目次



田村んちは諜報を良くする家で、戦の時に長野から吾妻へ引っ越してきたんだってさ。
左次衛門の父と兄は、真田家の命令で朝鮮の役の時にこっそり渡海して何人か向こうの人を連れて帰ってきたんだって。
その内の一人に和助と名前を付けて村にすまわせたんだってさ。

今もある「わせ屋敷」は「和助屋敷」がなまって伝わったもんなんだって。

~~~~~~~中之条町の民話より 引用~~~~~~~~





田村左次衛門は最初は左衛門佐殿(真田幸村)にお仕えしていたんだってさ。

でも、大阪の夏の陣の時には真田信吉隊で働いてご褒美をもらったんだって。
大阪から帰ってきた左次衛門は
「戦に負けたから俺は武士をやめて百姓になる。」
って言って村に引きこもったんだって。

しばらくしてから左次衛門の家にお城から偉い人がやってきた。
左次衛門は奥の部屋で偉い人と話してたんだけど、そのうちに子供がぐずりだした。

どんなにあやしても泣きやまない子供に左次衛門はたいそう怒って
「偉い人にとんだ無礼を働いた。」
と嫁さんと子供を斬り殺して、自分も奥の部屋で自害したんだってさ。

~~~~~~~~~~田村家の口伝より~~~~~~~~~~~


 

 

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