真田弾正忠幸隆公 併 祢津美濃守信直 法体之事

天文20(1551)年2月12日、甲府において武田信濃守源晴信公は入道し頭を剃り、出家姿になりました。 名前も改めて<法性院大僧正機山信玄>となりました。

幸隆公もその時に御相伴のため頭を剃り、<一徳斎良心>と名を改め入道しました。

幸隆公の嫡男である<源五郎 信綱>は信玄公の近臣に属していましたが、これ以降<源太左衛門尉>と名を替えました。

幸隆公の弟である<矢沢 右馬介>は<薩摩守>という官位をいただき、勝頼公より一字を頂いて<矢沢 薩摩守 頼綱>と名乗ることとなりました。

<祢津 美濃守 信直>は幸隆公と一緒に上州へ落ち延び、一緒に羽尾から箕輪城へと移り、一緒に武田家へ召抱えられた人でした。
そのためでしょうか、法体に御相伴して<松鶴軒入道>と名乗りました。
<祢津 信直>は武田氏が滅亡した後、徳川家に召抱えられ、甲州と駿州に350貫文の領地を頂きました。

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