羽尾入道 没落の事 

永禄六年11月の事でした。たくさんの雪が深く厚く降り積もり、人も馬も通る事が出来なくなったので羽尾入道は安心して月毎に順番で館にお勤めに来る者達を皆それぞれの領地へと帰しました。
そのため羽尾入道の館は手勢が50~60人ほどしかいない状態になりました。

羽尾入道の隙を伺っていた鎌原氏は
「今、羽尾を討つには天候が悪すぎる。」
と言って甘利・祢津の両家から手勢の侍を借りて300人ほど人を集めました。

鎌原ひきいる兵が11月27日の真夜中過ぎに羽尾入道の館へ押し寄せ、鬨の声ををどっとあげると羽尾入道は驚き騒いで取る物も取り敢えずに妻女を連れて徒歩で館から逃げ落ち延びて行ったのでした。

須賀峠まで逃げてくると、雪は更に深く吹雪もより激しくなり、手先も凍傷にかかり、それでも何とか命を落とすことなく大戸氏の館へ落ちる事ができたのでした。

羽尾入道はこの年の10月に武田家に落とされた岩櫃城へいつか戻りたいと心に誓ったのですが、以前は自分の味方をしていた横谷氏も今は鎌原に味方しているので今は無理だと言っていたと聞き及んでいます。

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