海野長門守 海野能登守 吾妻郡代 
  •  真田信幸公 砥石城にてご生誕
  • 永禄9年(1566年)『海野 長門守 幸光』と弟の『海野 能登守 輝幸』は信濃にて『真田 一徳斎 幸隆』の元で介抱されていました。

    そのころ『武田 信玄』公はお考えになられていました。
    「去年、13代将軍『足利 輝幸』公が三好達の手にかかって殺されたのは諸国の武士がそれぞれに立ち上がりそこかしこで戦を起こしている乱れた世だからだ。このまま岩櫃城に『真田 一徳斎 幸隆』を置いておいては信州の押さえもおぼつかないだろう。」

    そこで『武田 信玄』公は真田親子を召しだし
    「吾妻には誰を置くべきだと思うか?」
    とお尋ねになりました。

    『真田 一徳斎 幸隆』公はかしこまって答えました。
    「昨年斉藤家を御誅罰なさった時に武田家へ忠信申し上げた『海野 長門守』兄弟がふさわしいと思われます。」

    信玄公は
    「どのようにでもやってみてくれ。」
    とおっしゃって『海野 長門守 幸光』と「海野 能登守 輝幸』を吾妻郡代にしました。


    吾妻の地侍の中で
    ・『浦野』
    ・『植栗』
    ・『湯本』
    ・『鎌原』
    ・『西窪』
    ・『横谷』
    の六人を真田家の被官としました。その他の
    ・『富沢』
    ・『唐沢』
    ・『蟻川』
    ・『塩谷』
    ・『山名』
    ・『桑原』
    ・『鹿野(狩野)』
    ・『上原』
    ・『一場』
    ・『高橋』
    ・『小渕』
    ・『中沢』
    ・『田中』
    ・『伊能(いよく)』
    ・『茂手木』
    ・『荒牧』
    ・『川野』
    ・『田村』
    ・『二ノ宮』
    ・『割田』
    ・『高山』
    ・『町田』
    ・『青柳』
    ・『豊田』
    ・『中村』
    ・『井上』
    ・『川合』
    ・『佐藤』
    ・『山遠岡』
    ・『蜂須賀』
    ・『福田』
    ・『片山』
    ・『赤沢』
    ・『神保』
    ・『木部』
    その他70余騎を海野兄弟の被官としました。

    また信玄公は、<海野 能登守 輝幸>の長男<海野 中務太輔 幸貞>が<矢沢 薩摩守 頼綱>の娘を娶り矢沢家の婿となっていましたので同じように
    ・<大戸 真楽斎>の嫡男<大戸 太郎>
    ・<鎌原 宮内少輔 幸重>の嫡男<鎌原 筑前守 重澄>
    の二人を<海野 長門守 幸光>の婿になるように申し付けました。

    真田信幸公 砥石城にてご生誕


    海野兄弟は岩櫃城に住んで吾妻郡の守護を勤めましたが、<長尾 景虎(後の上杉謙信)>が越後の地侍達を従えて三国峠を越え、<北条 氏康>を戦争を繰り返しておりましたので信玄公は吾妻の状態を不安に思うようになりました。

    そこで<武藤 喜兵衛尉 昌幸>公を呼び出しまして、一年に一度吾妻へと出張させる事にいたしました。

    この年(永禄9年 1566年)に<真田 源三郎 信幸>公が信州小県郡の砥石城 旗山(現 上田市外旗山)にて御誕生なされました。御母は正親町大納言の御娘と聞き及んでおります。
    <真田 源三郎 信幸>公の守役には川原氏・丸山氏が付きました。

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