横尾八幡城跡

横尾八幡城 本丸

場所  群馬県吾妻郡中之条町横尾字栃瀬

駐車場 無し 
城跡への入り口は地元民の墓地にある
入り口から本丸までは徒歩3分

~歴史~
 
築城年 不明 天正年間初期は尻高家に属す(尻高家は関東管領 上杉家に属す)

天正8年下旬

尻高勢が守っている所へ真田家方の
・割田下総
・蜂須賀伊賀
・富沢豊後
・富沢豊前
他45名
が攻め入るが敗退(吾妻記)

天正8年12月28日

真田家方の兵250人が攻め入る
忍者 「田村角内」「綿貫隼人」「田村五郎左衛門」が忍びこみ放火
(この時、五郎左衛門が鉄砲にて負傷。田村角内が肩を貸し城内からの脱出に成功)

真田家方の勝利となり、以降は富沢豊前が預かる城となる。(吾妻記)

天正16年4月26日北能登守の奉行にて、城に詰める地侍のリストが発行される
(中之条町民俗史料館 田村家文書 ・ 信濃史史料集 第15巻) 
天正17年北条家との戦に備え「富沢豊前」「金子美濃守」が入る(加沢記)
天正17年12月北条家方の「富永助重」が攻め入る
・鎌原重幸
・湯元幸胤
・川原左京棟実
の援軍により真田家方の勝利に終わる(加沢記)
廃城時期不明

城詰め 地侍リスト
信濃史史料集 第15巻 
長国寺殿御事蹟巻之二より引用
横尾八幡城 本丸 南側からの眺め
横尾八幡城 本丸 南側からの眺め

一番

弓    狩野 右馬助
鉄砲   同  又左衛門
槍    唐津 平左衛門
鉄砲   田村 雅楽尉
同    上原 弥次郎
同    関  勘解由
弓    冨沢 源右衛門
槍    小菅 六郎三郎
同    島村 市之助
同    田村 助五郎
同    ひこゑもん
同    かねこ
同    狩野志摩守
同    片貝 茂右衛門
同    おり田 内蔵助
鉄砲  すみや 七郎へもん
同    割田 与兵衛
槍    九郎さへもん
同    太郎左衛門
てつはう 関 又ゑもん
同    桑原 大蔵
槍    小野田 市助
鉄砲   しほ津 守之尉
同    今井 左近
槍    細野 三郎左衛門
やり   つのた 新三郎
同    市助
てつはう 唐沢 二兵衛
同    山口 織部
同    冨沢 与四郎
同    柳田 臆左衛門
やり   蟻河 源四郎
  以上

二番

てつはう おり田 雅楽助
同    冨沢 善内
やり   甚左衛門
同    番才 新左衛門
鉄砲   宮原 市左衛門
やり   たつみ さし代
同    荒井 彦右衛門
てつはう 戸塚 源右衛門
槍    七郎さへもん
同    すけ五郎
同    専助
鉄砲   けんもち彦左衛門
同    幾多 半右衛門
やり   九郎右衛門
てつはう 大間 与右衛門
同    青木 臆右衛門
同    長井 彦右衛門
同    かん田 左衛門太
同    横沢 源助
槍    丸山 新左衛門
同    関口 助三
鉄砲   伊与 久左京亮
同    小林 九郎右衛門
同    川原田 新六
同    勅使 河原 清十郎
同    十さへもん
同    青木 太郎さへもん
やり   新四郎
同    藤へもん
同    大塚 臆左衛門
同    渡り 又左衛門
  以上

 

 計 鉄砲…17名  てつはう…14名  弓…2名 槍…18名 やり…12名
合計 63名
・冨沢 豊前 ・狩野 志摩 ・狩野 右馬介 ・折田 軍兵衛の4名の指揮の元、城を守備していたと思われる   

 

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