横尾八幡城跡
|
|
築城年 不明 | 天正年間初期は尻高家に属す(尻高家は関東管領 上杉家に属す) |
天正8年下旬 | 尻高勢が守っている所へ真田家方の ・割田下総 ・蜂須賀伊賀 ・富沢豊後 ・富沢豊前 他45名 が攻め入るが敗退(吾妻記) |
天正8年12月28日 | 真田家方の兵250人が攻め入る
忍者 「田村角内」「綿貫隼人」「田村五郎左衛門」が忍びこみ放火 (この時、五郎左衛門が鉄砲にて負傷。田村角内が肩を貸し城内からの脱出に成功) 真田家方の勝利となり、以降は富沢豊前が預かる城となる。(吾妻記) |
天正16年4月26日 | 北能登守の奉行にて、城に詰める地侍のリストが発行される
(中之条町民俗史料館 田村家文書 ・ 信濃史史料集 第15巻) |
天正17年 | 北条家との戦に備え「富沢豊前」「金子美濃守」が入る(加沢記) |
天正17年12月 | 北条家方の「富永助重」が攻め入る ・鎌原重幸 ・湯元幸胤 ・川原左京棟実 の援軍により真田家方の勝利に終わる(加沢記) |
廃城時期 | 不明 |
城詰め 地侍リスト
信濃史史料集 第15巻 長国寺殿御事蹟巻之二より引用 | ||
横尾八幡城 本丸 南側からの眺め |
一番
弓 狩野 右馬助 | 二番
てつはう おり田 雅楽助 |
計 鉄砲…17名 てつはう…14名 弓…2名 槍…18名 やり…12名
合計 63名
・冨沢 豊前 ・狩野 志摩 ・狩野 右馬介 ・折田 軍兵衛の4名の指揮の元、城を守備していたと思われる
SEO | [PR] !uO z[y[WJ Cu | ||