嶽山城跡

嶽山城・全景

場所  群馬県吾妻郡中之条町大字五反田

駐車場 有

山の麓が開発されて現在は「道の駅 霊山たけやま」となっている
トイレ・蕎麦屋・土産物屋などもあって便利。
子供が遊べる公園もあるので、ちょっとしたピクニックなどにオススメの山である・・・と思う。

~歴史~
   
築城年 不明 麓の親都神社が和利宮という名で延喜式に登場する
永禄年間始め斉藤憲弘の息子 城虎丸が預かる(加沢記)
折田将監の一族が預かる(群馬の古城)(加沢記)

永禄6年 8月以降

武田家の岩櫃城攻めの際に真田昌幸が城を囲む。佐藤将監(折田将監と同一人物か?)・冨沢加賀は降伏する
真田昌幸の命により
・西窪治部
・川原左京
が城を預かる(加沢記)

永禄7年

成田原にて合戦有(加沢記)
永禄8年11月真田幸隆が嶽山攻めの軍事拠点とする(加沢記) 
不明以後不明であるが、折田の土地を治めていたのが折田氏(後に佐藤氏)であったため、折田氏が管理していたものと推測される 
廃城時期不明

加沢記より引用
仙蔵の城の位置から眺めた五反田の台と嶽山城
仙蔵の城の位置から眺めた嶽山城
(池田親子の寝返りを聞いて)
真田一徳斎は時を移さず自ら先駆けとして300騎を引きつれて出ました
この時、真田一徳斎は黒糸縅の鎧に鍬形の兜を着て、三尺五寸の太刀を腰に佩き、十文字の槍をかかげ、荒井黒と名付けた馬にのって仙蔵の城へと駆け上がりました。
その場にて、五反田の台での戦闘の指揮をお取りになられたのです。

 

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