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仙蔵の城・内山城跡
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| 築城年 不明 | 始めは成田氏の城であったと伝えられる |
| 文明年間 | 塩谷(しおのや)家が居住していたが、大野家とのいざこざにより攻められる(加沢記) |
| ? | 折田将監の一族が預かる(群馬の古城)(加沢記) |
永禄6年 8月以降 | 武田家の岩櫃城攻めの際に真田昌幸が城を囲む。佐藤将監(折田将監と同一人物か?)・冨沢加賀は降伏する 真田昌幸の命により ・西窪治部 ・川原左京 が城を預かる(加沢記) |
永禄7年 | 成田原にて合戦有(加沢記) |
| 永禄8年11月 | 真田幸隆が嶽山攻めの軍事拠点とする(加沢記) |
| 不明 | 以後不明であるが、折田の土地を治めていたのが折田氏(後に佐藤氏)であったため、折田氏が管理していたものと推測される |
| 廃城時期 | 不明 |
| 加沢記より引用 | |
仙蔵の城の位置から眺めた嶽山城 |
(池田親子の寝返りを聞いて) 真田一徳斎は時を移さず自ら先駆けとして300騎を引きつれて出ました この時、真田一徳斎は黒糸縅の鎧に鍬形の兜を着て、三尺五寸の太刀を腰に佩き、十文字の槍をかかげ、荒井黒と名付けた馬にのって仙蔵の城へと駆け上がりました。 その場にて、五反田の台での戦闘の指揮をお取りになられたのです。 |
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